完全な知性と不完全な僕の思考

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も全て見えているであろう。

心情と就活記と生活記

コネクションとか。

5312382467283回ぐらい現実世界で発言していることなんですが、

僕は、四国という田舎の、その中でも弱めの県の、

それも県庁所在地ではない自治体で生まれ育った。

 

 

小学校、中学校へは、田んぼの中をてくてく歩いて通ったし、

高校は、申し訳程度の役所近くの商業施設が申し訳程度に集まったところにあった。

 

 

たぶん、都市部で育った人間にはできない経験を得ることができたと思う。

 

 

問題はそのあとで。

 

高校を卒業する段階で、人生の岐路に立つことが多い日本では、

田舎で育った僕たちも大きな選択を迫られる。

 

その選択は、大きく二分される。

 

地元に残るか、都市部へ出ていくか、だ。

 

地元の大学への進学は、私立国立を問わず、その多くが地元で就職するので、

高卒時に地元で就職することと、あまり大きな違いはない。

 

どちらがいいとか、どちらが間違っているとかの話ではない。

それは個人の価値観や、その時の状況に問題だから。

 

 

現代では、SNSの普及は著しく、日本どころか、

世界中どこにいても友人たちの近況はわかる。

 

 

しかし、それが問題だったりするのかもしれない。

 

 

地元に残ることは。都市部に出て生きていくことよりも、

競争にさらされることが少ない傾向にあるように感じる。

 

情けないことに、僕は心が強くないので、

(特に)自分が競争の中で必死にもがいているときに、

そういったゆるやかな暮らしを目にすると、どうも妬み嫉みの感情が生まれる。

 

 

今後、競争の中で生活して、豊かになることをあきらめたくないので、

地元の人たちの多くのSNS上でのポストは見ないようにしている。

 

 

なんの報告やねん、って話だな。