完全な知性と不完全な僕の思考

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も全て見えているであろう。

心情と就活記と生活記

日本が好きか嫌いか

イギリスで1年間生活してみて、

いろいろと日本とイギリスの違いについて考えることがある。

 

1年間の生活を、大きく半分に分割して、

働いていない(アルバイトをしていなかった時期)と働いている時期、として考える。

 

働いていない時期の考えでは、

日本とイギリスは一長一短といった感じだった。

特に感じるのは生活コストの高さ。

現在は大学の寮に生活しているが、何よりも家賃が高い。

首都ロンドンではないのに、だ。

これは、イギリス、というかヨーロッパの都市の性質に依存したものかもしれない。

こちらの都市は、中心部というものがはっきりとあり、

そこを中心に街が広がっており、中心部から離れれば離れる程、

田舎的景観になり、生活コストも下がるようだ。

しかし、大学が中心部近くにあることもあり、

そういった地区から通うのは、車を持っていないと、なかなか厳しいものがある。

 

より英語力があり、自分で多くのことを手続できるようになれば、

いくばくかコストを下げることは可能かもしれないが、

それでも安い、と思う範囲には届かないだろう。

 

 

 

しかし、アルバイトを始め、働くという観点から見ると、

イギリスという国はとかく素晴らしい場所のように思える。

生活コストの高さを割きほと述べたが、外食費なども、もちろんのこと高い。

しかし、その高価格は、きちんと労働者に還元されている。

 

現在僕は、飲食店でアルバイトをしている。

日本では、飲食店での労働者は、底辺と認定されやすい。

それほどに労働環境がよろしくない。

実際に、僕も日本の飲食店で働いたことがあるが、

時給と労働内容が見合わないと思ったことは多々ある。

しかし、イギリスでは、体感的に日本の半分程度の労働量で同程度の賃金が払われる。

これは、単純に同じ時間に働いている店員の人数が日本の倍いるからだ。

 

詳しく勉強していないので、聞いたことがある程度の知識だが、

欧州では歴史的に労働者の立場が強いようだ。

 

日本で回らないお寿司屋さんでアルバイトをしたことがあるが、

まるで奴隷のような扱いそのもののように感じた。

その根底には、昔ながらの封建的制度というか、

「すし職人見習いなら、この程度のことは自主的にやれ。」みたいな思いを、

その店の従業員の態度、言動から感じた。

言いたいことはわからなくもないが、

問題は、それをすし職人志望でもないアルバイトに求めてどうする、という点だ。

 

かなり私怨の入った文章だが、

労働していかなければ働いていけない小市民としては、

日本の伝統的な労働スタイルにしがみついていくような生き方をしていては、

自分の将来が暗くなっていくように思う。