完全な知性と不完全な僕の思考

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も全て見えているであろう。

心情と就活記と生活記

鬼のパンツはいいパンツ

僕が腹痛に呻きながら、

ベッドでのたうち回っているうちにも、

世界はこんなちっぽけな人間一人の事情などお構いなしに回っており、

早くも4月も終盤を迎えている。

 

僕の心が弱いからなのか、

はたまた人間がそういった風に作られているのかはよくわからないけれども、

肉体的にダウンしているときには、ベッドの上から動くこともできず、

頭だけが働く状態なので、よく過去の出来事を思い出す。

 

「あぁ、昔親にこんなこと言われたなぁ」とか、

「あぁ、昔こんな出来事があって、その時に自分はこう感じたなぁ」とか。

 

一連の記憶に関連性はほとんどないように感じていたのだけれども、

ここ一年は、こういった場合に思い出される出来事は、

「今の自分を形成した出来事」と「後悔していること」だと気づいた。

 

 

 

前者については、今でも僕の根幹をなしているように思うので、

少し文章にして整理してみようと思う。

 

当時、僕の地元は田舎の地域であったが、

僕の実家周辺は新興住宅地であり、

比較的同世代の大人たちが家を建て、その子供たちもまた、同世代に固まっていた。

小学校時代、つまり、'00年代前半、また、新興住宅地に家を建て、

住宅ローンを抱えている親世代は、共働きがスタンダードであり、

当時は、学童保育と呼ばれるシステムがあった。

小学校の下校時から、両親の帰宅まで、近所の公民館に子供たちを預かってくれる制度だったと記憶している。

同じ地域の同学年の子供は、僕を含めて12人程度だっただろうか。

そのほとんどが学童保育に参加していた。

 

僕の家は、幸か不幸か、父方の祖母が同居して、両親が働きに出ている間、

僕たち姉弟の世話をすることになったのもあり、

僕だけがそこにお世話になることはなかった。

 

学童保育が行われる公民館は、地域の公園の隣にあり、公園で遊ぶとなれば、

必然的に学童保育の子供たちと遊ぶ。

同地域の友達はみんな学童にいるので、遊ぶとなればそこに行くのは当然のことだ。

 

ただ、いくら公園で遊んでいても、学童のスケジュールなのか何だったのかは今となってはわからないが、室内で何かが行われるとなった場合、僕はそこには入っていけない。

 

当時の僕は、いくら小学生とはいえ、物わかりのいい子だったようで、

職員に向かって「なぜ?」と聞くようなことはいなかった(、と思う)。

(もっと遠慮のない子供だったら違う思いだったかも)

 

そこでの保育に対しては、それぞれの家庭から対価が支払われ、

その対価から、施設の使用料や光熱費、おやつ代などが賄われていることは、

子供の僕にもわかった。

 

しかし、感情、心情的には、やはり寂しさや、そういった金銭的なディスアドバンテージに対する無力感があり、

「何故僕の家は共働きなのに、学童に入れてくれなかったんだろう。」

 

という思いがあった。

 

 

そんなある日、たぶん夏のころだったと記憶している。

いつものように公園で遊んでいると、天候が急に崩れ、雨が降り出した。

周りの子供たちは、次々と公民館に入り、学童保育の先生であろう、若い女性にタオルで頭を吹かれているのが、公園に面した窓から見えた。

 

対して僕は、急な土砂降りという緊急事態にもかかわらず、

そこに入っていくほどの図々しさもなく、

ただただ公園の遊具の下で雨宿りするだけだった。

 

幼心ながらに、友達の一人でも出てきて、

「お前も中に入れよ!」の一言でも待っていたのかもしれない。

 

しかし、誰も出てくることはなく、家までの200mぐらいを雨に打たれながら帰った。

 

この日の夜は、

「なんで僕を学童に入れてくれなかったの?」と親に聞いた記憶がある。

親は「家でおばあぁちゃんが見てくれるからいいじゃない」といった。

 

違う、そうじゃない。

家にいる父型の祖母とも仲が悪く、学童にも参加できず、

マイナスばかりだ、と。

意図的ではないにしろ、公園での仲間外れの構図が、幼い僕にはあまりにも強く突き刺さりすぎて、僕はその日から公園に行くのをやめた。

 

今でも、夏にゲリラ豪雨のような急な土砂降りになると、

この時のことが、年に数度はフラッシュバックする。

 

結局、あの出来事から、地元地域の同級生との間には壁を張るようになり、

今でもうわべだけの付き合い、もしくは、疎遠になっている。

 

 

 

こういうことで、深く傷ついたからか、

「仲間はずれ」や、「居場所から追い出されそうな状況」というのが

とても苦手だ。

 

先日つぶやいた、「多い」と「多過ぎ」の違いもそんな出来事から来ていたのかもしれない。